イスラエル・イラン“6日戦争”はなぜ起こったのか? 見過ごされがちな宗教的・歴史的要因と、トランプとイランの最大のディールとは【中田考】
イスラエル・イラン戦争を理解するために。トランプによる「強引な停戦」は今後どうなるか?

14. 国家権力を得た「被害者」の拡張主義という逆説
このように、12イマーム派とラビ・ユダヤ教はいずれも、抑圧の歴史を「記憶」として継承する 共同体的主体でした。。しかし、20世紀に両者がそれぞれ国家権力を手に入れたことは、その宗教的・倫理的アイデンティティに重大な逆説をもたらしました。イランでは1979年のイスラーム革命によって、ウラマーが国家統治の中心に据えられ、シーア派の法学と政治権力が結びつく神権国家体制が確立されました。一方イスラエルでは、1948年の建国により、長らく国なき民であったユダヤ人が初めて「ネーション・ステイツ(国民国家)」の主権者となったのです。
これにより、両国はいずれも「被害者性の記憶」を政治的正当性の源泉としつつ、国家としての加害性を露わにしていくことになりました。つまりイランによる対外シーア派勢力への軍事的支援と革命の輸出による地域の不安定化、イスラエルによる占領政策とユダヤ人入植地の拡大によるパレスチナ人のジェノサイドです。
15. 記憶の書き換えに抗して
過去の抑圧が、現在の抑圧の言説装置として機能する構造は、もはや歴史的にその道義性を正当化することが許されない段階に至っています。正義の名における暴力は、かつての抑圧構造を複製し、今度は「被害者だった者たち」が「他者を抑圧し、排除する国家主体」として再登場することになってしまったからです。
12イマーム派とラビ・ユダヤ教の歴史は、ともにマイノリティとしての記憶と共に忍従と抵抗の倫理を豊かに育んできました。しかし、その記憶が主権国家という暴力的枠組みの中で書き換えられることで、「正義の主体」が「暴力の主体」へと転化する危機が生まれたのです。イランとイスラエルの歴史が示すように、被害の歴史はそれ自体では道徳的正当性を保証しません。むしろ、国家としての加害性に転化しないためには、その記憶を絶えず批判的に再検討し、非暴力と法的普遍性への責任ある応答へと昇華させる努力が必要です。宗教と国家の関係が再び世界政治の中心に浮上する現代において、この二つの事例は、記憶と主権の交錯が孕む倫理的課題を最も鋭く可視化させました。
16. 受難の神義論と現実政治論の棚上げ
こうして私たちは、イランとイスラエルという二つの地域大国の宗教的・政治的ダイナミズムをたどってきました。12イマーム派とラビ・ユダヤ教は、いずれも歴史的にはマイノリティとして周縁化され、しばしば苛烈な迫害と排除の対象とされてきたため、マイノリティーであることを前提にマジョリティーの覇権に忍従しながらもマイノリティーの生存権とマイノリティー諸集団の多様性を意義付ける謙抑的な「受難の神義論」とでもいうべき共存の作法を法学化、神学化してきました。
しかしそれは言い換えれば、12イマーム派は自分たちの時代を「神隠し(ガイバ)」の状態にある12代目のイマーム・マフディーの時代、ラビ・ユダヤ教はイスラエルの民の集団的象徴でもある匿名の「苦難の僕」「メシア・ベン・ヨセフ(ヨセフの末裔の救世主)」の時代として位置づけていることを意味します。つまりそれは、現実に国家権力を握った場合にどう振舞うかについての具体的な考察を、12イマーム派がマフディーの出現やイエスの再臨、ラビ・ユダヤ教が「メシア・ベン・ダビデ」の到来、といった終末論的出来事の到来を待望することによって事実上棚上げしてきたということでもあったのです。
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